肉食とテロリズムの関係についての個人的な考察

自然の状態で人は肉食に適しているとはいえないのではないのだろうかということを前に書いたのだけれど、自分の中でなかなかその疑念が解決せずにむしろ深まるので延長線上で書こうと思う。

人類は本来構造的に肉を食べる様に進化していないが、最終氷期に向かう気候変動による食料不足でやむを得ず肉食を開始し、その目的のために集団化した人類が氷期後の温暖化の中でその集団を維持することが、むしろやむを得ず農耕を始めたきっかけですらあったのではなかろうか?また、これは社会や文明や大脳新皮質が醜く肥大化する主な原因にもなったのではなかろうか?という非常に偏った一般的ではない思考の延長線上で、学術的な根拠も無いまま話を進めることになるので、ただの主観の垂れ流しになるかもしれない。

また、自分はベジタリアンとかビーガンなどの様なきちんとした取り決めは無いのだけれど、6〜7年ほど前から、肉の名前の入った料理は注文しないとか買わないという非常にユルい選択をしている。なので、出された料理に肉が入っていたら食べるし、もっと言えば、チャーシューメンは注文しないけど普通のラーメンに入っているチャーシューは食べる。まぁ、ラーメン自体ずいぶん食べていないけれど。そんなふうなので、肉食について尖って否定するつもりも無いし、その資格も無い。

COWSPIRACY

最近突然ネコを預かることになり自宅にいる時間が長くなって、せっかくなのでNetflixという動画配信サイトに登録して映画やドキュメンタリーを見る機会が増えているのだけれど、その中で「COWSPIRACY:サスティナビリティ(持続可能性)の秘密」というドキュメンタリーを観たことが、直接的に肉食について再考するきっかけになっている。

この「COWSPIRACY:サスティナビリティ(持続可能性)の秘密」というドキュメンタリーは、アル・ゴアの「不都合な真実」に影響を受けて”人類が地球といつまでも仲良く暮らせる様に”とライフスタイルを変え様々な環境保護活動を行う様になった青年が、世の中が変わらないことに疑問を持って他の方法を模索していたとき、温室効果ガスは畜産関係から抜きん出て多く排出されているにもかかわらず、名だたる環境保護団体のいずれもそれに言及していないということに気付いてその理由を探り、業界団体の巨大な圧力に辿り着くというストーリー。

公式サイト http://www.cowspiracy.com/
http://www.cowspiracy.com/

タイトルのCOWSPIRACYは、cow(牛)とconspiracy(陰謀)を組み合わせた造語であるが、陰謀論でおなじみのフリーメイソンも元々は石工の業界団体である。西洋では歴史的に、この石工や海運や食肉などの業界団体が古くから強力な権限を持っているというのは以前読んだ本などで何度か目にしたことがあって、自分の中ではとくに否定する要素も無いので、事実としてこんなストーリーが半ば公然とあっても別段不思議ではないとも思う。半世紀前にアイゼンハワーが離任演説で危惧していた”軍産複合体”というのもこの様な業界団体の肥大化したものであるが、これなどはさらにエネルギーや金融などとタッグを組んで憚らずさらに巨大化しながら、現在まさにアイゼンハワーの危惧どおりに世界を揺るがしている張本人なのではないかとも想像する。

このドキュメンタリーで触れられている、畜産による環境への悪影響の具体的な項目は、Wikipedia「家畜」のページの「家畜と環境」という項目にまとめられている様な内容である。

たとえば、牛1頭を育てて屠殺するまでに要する飼料の熱量(カロリー)とその生産物の熱量の比は、自分の持っている本の中のデータでは6.8%という試算を見ることが出来る(鯖田豊之「肉食の思想」)のだけれど、上記の項目では、その飼料用作物を育てるために必要な土地や水、排泄物、生産や流通の過程に要する化石燃料・・・などという要素のそれぞれは、食肉は決して効率の良い食べ物だとは言い難いことを示しているし、すでに環境に対して許容量以上の負荷をかけているということも見て取れる。

ドキュメンタリーの中にもあったが、肉を食べずに肉を育てるための作物の量を人が食べれば、人は飢餓問題で悩まされることは無い。今、世界では、およそ7億9,500万人(9人に1人)が、健康で活動的な生活を送るために必要かつ十分な食糧を得られていない。
http://ja.wfp.org/hunger-jp/stats

肉食の必然性とその拡大

畑を作り始めるのと前後して畑の土のことも色々調べている中で、日本の畑や田んぼの土や気候はヨーロッパのそれらに比べて恵まれているということを知った。土の痩せたヨーロッパの農地では、地力を保持するために冬穀(小麦・ライ麦)・夏穀(大麦・燕麦・豆)・休耕(放牧)のローテーションを組んで耕作する三圃式農業がその基盤にあり、肉食やパン食はその仕組みの中から必然的に発生した。

牧畜

今の季節、山の犬小屋の周辺も放っておくとすぐに雑草に覆われて、春にはコシアブラを採りに入る裏山の際なども茫々になった葛などがあって容易には侵入できないほどになるのだけれど、ヨーロッパの田舎の風景にある雑草は丈も短くそういう意味では放牧には最適だが、穀類の生育なども日本に比べるとその生産性は低いのらしい。上記と同じ本にある「穀物収穫量の播種量に対する倍率」というデータでは、たとえば小麦の倍率が日本では51.7倍なのに対して、アメリカ:23.6倍、ベルギー:20.2倍、イギリス15.7倍となっている。(鯖田豊之「肉食の思想」 この本は1966年初版なのでデータ的には現在の近代的な農業のものとは符合しないと思われるが、それ以前のものを想像するには却ってこちらのデータが有効かと思う。(追記:年代的にはこのデータは「緑の革命」(Wiki)を反映したもである可能性は高いので、それ以前では隔たりは更に大きい可能性もある。))

上記のデータから、ヨーロッパでは歴史的に日本の米の様には穀類に依存できなかったことが想像できるので、そんな事情もまた肉食への指向が一段と強まった原因であるとも考えられなくはない。自分は将来的に冷蔵庫を使わなくても可能な生活がしたいと考えたときに、畑は野菜を生のまま保存しておける方法でもあると気付いたのだけれど、たぶん元々はそれと同じ理由で「家畜」は英語で「livestock」である。

(追記:漢字の「畜」と「蓄」の成り立ちもこれに関連して興味深いと思う。”畜”は”玄(くろ)い田んぼ”と書く。参照サイト → http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-ee73.html )
http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-ee73.html

そしてこの「食料の保存」の問題はこの記事の大げさなタイトルに繋がるのだけれど、そもそも、ヨーロッパ人が勢力を拡大して世界の隅々まで覇権を拡大するきっかけとなったのは、「香辛料貿易」であると自分は考えている。たとえば、抗菌・防腐・防虫作用のある胡椒は、中世のヨーロッパでは同じ目方の金と交換できる価値があったのらしい。つまり、スパイスは調味料である前に、肉を保存する手段という意味が大きかったのではないかということが言いたい。

そしてこのヨーロッパ人の覇権の拡大は、他国に対して上記の業界団体の様なやり方で臨むのが歴史的な常套手段であったので、現在に至るまで様々な形で一方的に負の国際関係を積み上げていて、そして困ったことに現在でもさらにその力を増しながら絶賛進行中である。で、現在各地で起きているテロリズムはその反動というのが自分の見方である。(長くなって書くのが面倒になってきたので結論が雑だけれど、このあたりはWTOや緊縮財政の新植民地主義的な意味で、対イスラム問題と絡めてそのうちあらためて書くかも。上述した肉食による弊害である食料事情の地域間の不当な格差(飢餓)などもその典型と考える。)

上記のドキュメンタリーの中にはそれが邪魔にならない程度にアニマル・ライツな意味合いのメッセージも込められていて、そもそも自分もやはり興味の動機はその辺りなのだけれど、自分たちはいったい、ここでいう人間側にいるのか家畜側にいるのか、前回の記事に続いてやはり何か大きな業という様なところに思考が辿り着いてしまうのである。

https://www.youtube.com/watch?v=JTcprWbo9N8
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