60歳を過ぎたら冷蔵庫を使わない

大きな災害が起きると身構える。東日本も今回もこの小屋のある辺りに直接的な影響は皆無なのだけれど、仕事が手に付かなくなる。恐怖に慄くとか不安に身動ぎも出来ないというデリケートな理由なら可愛げもあるのだろうがそうでは無く、暮らしとか社会とかの本質を考え始めるからである。で、仕事なんかしてる場合か、となる。自営業の強みか悲哀かは知らないけれど、東日本以降は超低空飛行を続けている。

前項のBライフでは、収支の額そのものを最小化して「余分なもの」を削ぎ落とすのであるが、自営業の場合は「余分なもの」は多少増えるが仕事量や経費を調整して低空飛行が可能となる。自分の場合は技術的なサービス業で、独立の当初からほぼ一般客のみを対象として大手や同業者との提携や下請けなどは極力避けてきたので、経営的に不安定ではあるものの融通は利かせやすい。そしてこんな自営業者は実は意外にBライファーよりもたくさんいるのではないかと想像する。ある意味でBライフよりも社会的な仮面をかぶって隠遁しやすいかもしれない。

ただ、独立開業した個人事業の9割は10年以内に廃業するという様な統計もある様で、これはBライフにも言えることだろうと思うが、それなりの耐性は必要だと想像するのだけれど、これは余計なお世話である。

この小屋のある辺りが震災で大きな被害を受けたのは直近では安政の頃になる。普段の時間の感覚では歴史の教科書でしか見かけないずっと昔のことなのだけれど、地質年代的にはつい今しがたのことだとも言える。この地震の前後には10年ほどの間に南海や東海も含め日本中で巨大地震が立て続けに起きていて、それらの数年後には江戸幕府が崩壊して欧米の「近代的な文明」を受け入れる開国へと至った。自分が前項の言葉で言うと"本格的な「Aライフ」の始まり"となる。

東日本大震災で起きた原発事故は自分にとって、とても示唆に富んだ出来事だった。

事故後には事業者や政府の対応が槍玉に上がったり、自然エネルギーへのシフトが話題になったりしたが、前に書いたエコカーの記事で少しだけ触れている様な本質的な部分にはなかなか焦点が当たらない。

そんなことを頭の中でもちゃもちゃと弄り回しているうちに、まったく偶然にこんな暮らしをすることになった。若い頃に読んだ自己啓発本ではないが、思考が現実化した。

なので、この先も思考を続けたい。

小さな畑を作ってみて、畑にはある程度食べ物を新鮮なまま蓄えておくという機能もあるということに気づいた。これは、自分が全くの素人で作物の成長が不均一だったことも幸いしているのかもしれないが、とにかく、畑にあるうちは作物は生きたままだという当たり前のことに気づいた。

この小屋に来て最初に買った家電製品が小さな冷蔵庫だった。

小さな冷蔵庫

Aライフの象徴的な、なかなか手強い相手ではあるが、悲壮感やわだかまりを残さない方法でこれが最後の冷蔵庫となる様な暮らし方を模索したいと思っている。

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