マイクロバイオームと酵素

近年の生活や思考を振り返って、ここ最近の記事は自分のまとまっていない考えを書き散らしている感があるのだけど、それぞれの共通点を絞り込んでいくとマイクロバイオームや酵素の作用に収束する気がしてきた。

炭素循環農法で土壌中の微生物や酵素の働きに触れたことや、食が人体に及ぼす影響に腸内細菌や酵素がかなりの部分で作用していることが分かったという様な事柄は自分の中ではまったく最近の事柄なのだけど、それ以前から”現在の文明社会から文明を差し引いたときに残る基本的な人間の営み”を考えていた中で、人間の意識下の自律神経や性質とか感情は神経伝達物質が作用しているなどという辺りに興味を持っていて、それにも酵素が作用していること、また、最近では、腸内フローラが人間の感情に影響を及ぼすなどということも言われ始めているので、このマイクロバイオームや酵素の作用は自分にとって重要な鍵であるという予感がしている。

粘菌の研究をしていた南方熊楠の「萃点(すいてん)」とは、何かこの様な事柄を表したかったのではなかろうかとさえ思う。

それにしても、計算機技術の発達によって高卒の素人の中年オヤジが居ながらにしてこんなことが考えられる世の中になったのは有り難い。DNAの解析が、本当にここ何年かの間で実用レベルとなって驚いているが、酵素の研究もそれに合わせて急展開をしている様子である。

ダイエットに特化した遺伝子検査なら【遺伝子博士】

自分の現在の思考の方向性としては、人間そのものや人間の社会や暮らしの原点を探る中で、最新の研究などを反映して自分なりに裏付けをしていきたいと思っている。おのずとブログの内容もその様な意味不明の事柄が中心になると思うので、生暖かく放置しておいていただければ何よりである。

ちなみに、この生活を始めて畑や料理をする様になったという理由もあるのだけれど、食の嗜好が明らかに変わった。玄米食にしたこともあるが、味噌汁や納豆や漬け物はほぼ毎日食べる様になったし、数年前にフランスの友人に教えてもらったオリーブオイルとビネガーの簡単なドレッシングが最近はとっても美味しくてサラダもたっぷり食べる様になった。そんな習慣はまったく無かったがデザートにはリンゴやキウイなどのフルーツを好む様になり、魚もたまに刺身を食べるくらいだったものが地元産の一夜干しを炙って食べるのが何とも旨くて同じものを週に2度ほども食べていたりして、これらが最近の代わり映えの無いいつものメニューとして取って変わったが、飽きることはなく毎食旨い。そして、余分なものはほとんど食べなくなった。あらためて好むものをまとめてみると、これらは実は酵素をたくさん含んだ食物であることが分かって、驚きながらも何となく納得している。体が素直になっているとでも言ったら良いのだろうか。

何となくたくさん食べたくて、昨年畑の下段に棚を作って植えたキウイも酵素を多く含んだ食べ物らしい。

畑の下段のキウイ棚

酵素を多く含むキウイ

そして、この”体が素直”モードになると、おのずと物事が上手くいったりするという様な経験が増えている気がするのだが、これはまぁ話半分で。

水上勉の「土を喰う日々」を読んだ後に同じ著者の本を何冊か読んだり、また、昨年は身内でお寺にお世話になったことがあったりして、ウチは禅宗の檀家なので図らずも「禅」に触れるきっかけとなったのだけれど、自分の見極めたいと思っている”現在の文明社会から文明を差し引いたときに残る基本的な人間の営み”というのがじつは何気にこの禅そのものだったりして少し面食らったりもしながら、俄に興味を持って禅の本なども何冊か読んだりしたのだが、その中で、禅を続けていると何となく物事が上手く行くとエラい坊さんだかが言っていたのを妙に納得して読んだということがあった。

こじつけの様な話で恐縮だけれど、上のキウイの棚はこの物件に元々あった単管パイプの薪棚をバラして保管してあった物を使ったもので、その材料に合わせて計算したわけでも何でもなく、空いた地面に合わせて適当に大きさを決めながら現物合わせで組み立てていたのだが、出来上がってみるとパイプも金具も数がぴったり収まっていて、こんな不思議なこともあるものかと独り喜んだということがあった。

単管パイプの薪棚

元々あった単管パイプの薪棚

とにかく、この様なことが最近は異常に多い。

自然農関連の書籍とかホームページを見ていると、なんだかもう宗教じみてアレな感じの雰囲気があって見ていてツラくなることすらあるのでこういうことはあまり書かない方が良いかとも思うのだけど、実際最近は物事が過分にきれいに収まることが多い。たぶん自分もちょっとアレなんだと思う。いや、かなりアレか。