前にも書いたけれど、ここで生活する様になってしばらくしてからご飯を玄米に変えたら、食事の概念が変わったし体の調子もすこぶる良い。
で、これも少し触れたけど、少し良い目の炊飯器を使えば、ひと晩水に浸すとか炊きあがったら蒸らすとかそんな手間も不要で粒っぽくもなくイヤな匂いや癖も無く炊きあがるし、もっと言うと、米を研ぐという過程も必要ないのでサッと洗ってそのまま炊飯スタート可能だし、炊きあがって保温のままずっと置いていても風味が増すことはあっても落ちることは無いし、本当に良いこと尽くめなのである。
で、近所の人にも長く玄米食を続けている人がいてその人に教えてもらったのだけど、炊飯器にセットしたら市販の雑穀をスプーン1杯ほどと塩をひとつまみ入れれば良いとのことだったので、玄米食を始めてけっこう早い段階からそれも実行している。
何が変わるかというとそれほど変わらないのだけど、雑穀の買い置きが無くなって入れないと寂しい。塩を忘れると、何となくだがカサカサする印象がある。まぁ、その近所の人はビタミンとかミネラルがどうのこうのという理由で入れているらしいのだが、自分の理由は雰囲気でプラシーボ的なものなのかもしれない。が、信じるものは救われる。
玄米食を始めてからと思われる効果がまた良いこと尽くめで、おもにアンチエイジングとかデトックスの効果を実感しているのだけど、何より食事そのものの嗜好が良いものと良くないものにはっきり分かれてきたことも大きいのではないかと思う。
インターネットを少し調べてみても、「病気が治った」とか「便秘が治った」とか「ダイエットに効果的」とか、玄米の効能をうたったアイキャッチは山ほど目に入るし、実際データ的にもそれを裏付けている様に思う。
ではなぜ、ご飯といえば”むかし”から白米なのか。”むかし”は白米=お金だったからに他ならない。米本位制という流通&統制のシステムである。いや玄米もお金なのだが金と銀ほどの差があったとすれば、同じ米ならひと手間かけても金にするだろう。米を主食とすることのそもそもが経済的な理由だとしたら、栄養学的には不合理な部分を孕んでいても不思議ではないし、雑穀なども併せて主食はもっと多様性があっただろう。
昨今は「サスティナブル」とか「パーマカルチャー」など、持続可能な手法という意味の呼び方をよく目にする様になったけれど、裏を返せば持続不可能な手法がそのメインストリームには有るわけで、米食や肉食などの生活習慣の成り立ちというのは興味のあるところである。
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例の、楽天の期間限定ポイントの消化のため、また雑穀を注文した。
くどい様だけど、玄米食は自分の身体や生活習慣を見つめ直すのには最適ではないかと思うのでぜひお薦めしたい。