早起きは…っていうよりも、早く寝るのが3文の得とみた。

ここでの生活は、基本的なライフラインは揃っているのだけれど、テレビも無いしパソコンも無い。

家具や家電製品もあまり無い。

ベッドも無い。

食器や調理用具の数もあまり無いし、洋服ダンスも無い。

意識して積極的に現代文明を排除しているわけではないのだが、必要以上のものは持ち込もうとは思わなくなっている。

おのずと、日が暮れたら眠る様になる。

犬たちと同様に、思い思いの場所でせんべい布団で雑魚寝である。

犬たちは、その発祥からすでに人間たちとかかわってきた歴史を持っているが、人間ほどには自然を忘れてはいない様に見受けられる。

いや、人間たちがここ数世代の間で劇的に忘れてしまっただけで、犬たちはその世代の交代のサイクルが短いにもかかわらず、長期の習慣をその内に留めているだけなのかもしれない。

暗くなってから何かをしようとするとき、人間は大抵の場合、明かりが必要である。

電器のスイッチを点ける、という、ささやかな自然への抵抗の試みが、ここでは不自然なこととして割と強く実感してしまう。

周りにほとんど家がなく、街路灯もない。

100メートルほど向こうに家が1軒あって、夜見える電器の灯りといえば、その家から漏れる明かりくらいだということもあるのだが、しかし遠景には平野を見下ろした町の夜景も垣間見えるので、視覚的に完全な静寂を指向するわけでもないとも思うのだが、ここで灯りを点けるのが不自然に感じる理由は、はっきりとはよく分からない。

そして、よく分からないまま、そのささやかな抵抗をすぐにやめたくなるのが常なのである。

最近ようやく「デフォルトモード・ネットワーク」などという言葉も使われる様になってきたり、脳細胞に限らずとも、たとえば、夜8時以降はものを食べない…だとか、人間が人生の3分の1を費やす睡眠時間を能動的な意味で解釈することが出来る様になってきている。

無学なので、難しいことはよく分からない。

とにかく、夜早く寝ると、朝には早く目が覚めて、きれいな景色と爽やかな犬の散歩とおいしい朝食の時間が待っていることは間違いない。

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そして、それは、今日という1日において意外と重要であり、すなわち、人生において意外と重要なのだ、という予感がする。

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