デヴィッド・ボウイのTシャツが届いた。

普段着はしまむらかコメリ、よそ行きはユニクロという自分がTシャツごときに大枚を叩くのは多分これが最初で最後だと思う。しかも、後から追加注文までして、結局都合4枚も買ってしまった。

http://www.paulsmith.co.jp/paul-smith-world/collaboration/paulsmith-for-davidbowie-jan2016

デヴィッド・ボウイのTシャツが届いた

夢の中にデヴィッド・ボウイが出てきたことが、今までに2度ある。飛行機の中で隣り合って座っている夢と、アジアか中南米辺りのどこか埃っぽい街の建物の前に椅子を並べて日向ぼっこをしている夢だった。自分はいつもフルカラーの夢を見るのだけれど、この時の映像はとくに、絵にしたいくらい克明に記憶に残る美しさだった。

自分は今40代後半なので、デヴィッド・ボウイはリアルタイムでは中学の頃にリリースされたレッツ・ダンスあたりを最初に聴いている。

小学校の高学年頃はYMOにハマっていて、中学当時に公開された「戦場のメリークリスマス」の坂本龍一を観に行って、デヴィッド・ボウイに魅入って帰ってきたという口である。で、どうやらミュージシャンらしいということで音楽を聴いてみるとこれがまた良い。

絵を描くことがわりと好きだったので、彼の目だけを描いて今でいうクリアファイルの様な下敷きに挟んで使っていたら、英語の先生がそれを目敏く「デヴィッド・ボウイ?」と見つけてくれた。その後、アルバムを何枚か貸してくれたので、カセットテープにダビングしてサルの様に何度も聴いた。

自分の人生でデヴィッド・ボウイから話題を展開することが出来た女性はこの英語の先生と今の相方くらいしかいないのだけれど、当時思春期の入り口だった自分はレコード1枚借りるにも、檻の中のサルが牙を剥きながら手を出してバナナを奪い取るかのごとくのやり取りであったことだろうと、苦い思い出を呑み込まなければならない。

今年の1月頃にはちょうど相方の姪っ子が結婚するとかで頻繁にやり取りをしていて、その旦那になるという人と自分が顔が似てるだの性格まで似てるだのと女同士で世代を超えて盛り上がっていたみたいだったが、デヴィッド・ボウイの訃報に接した際の挙動がこれまた瓜二つだったといってそれに拍車をかけてしまった。おまけにその後それぞれが語った音楽観やアーティスト観まで酷似していた様で、さすがにこれは二人が同じサイトでも見てコピペで語ってるんじゃないかという疑惑が浮上するくらいのドッペルゲンガーっぷりだったらしい。それ以前に彼はポール・スミスがお気に入りだということも何故か聞いたりしてたので、このタイミングで何かとても不思議な縁か共感かを感じて、結婚祝いっぽい何かという名目でこのTシャツを相方の分も含めて3枚追加注文した。ちなみにその姪っ子も旦那も自分は顔を見たこともない。

デヴィッド・ボウイの訃報に接して自分でも意外なくらいに放心したのだけど、こんな出来事があってこんな贈り物が出来ることが救ってくれた様な気もしている。

今の自分にとってこれほどの散財は無いが、もう1枚送る相手があるとすれば英語の先生なわけで、密かに邂逅を願っている自分がいる様な気もする。

デヴィッド・ボウイのTシャツ

(追記)
と思ってサイトを見たら販売終了だった。更にもう一度見たらそのページすら無くなっていた。この記事を書いている間の出来事。英語の先生とはまだ顔を合わせられない様だ。
先生ごめん。ありがとう。

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