自然の語源、プレゼントの語源

最近、ブログ運営上の下心からにほんブログ村 ナチュラルライフというカテゴリに登録させていただいたのだけれど、そこに登録されている他のサイトなども見せてもらう様になったりもして「ナチュラルライフ」って何ぞ?というのが湧いてきている。

純粋な意味で「ナチュラル」と「ライフ」は相反する事柄なのではないか?というのは人類の永遠のテーマかもしれないのでまぁ置いておくとして、たとえば、未開の原始生活を送っている部族とか、インディアンとかエスキモーと呼ばれていた人たちの多くは「自然」という単語を持たなかった。えーっ?と思うかもしれないが、日本語にも明治時代までは無かった。明治以降にnatureの翻訳語として仏教用語の「自然(じねん)」があてがわれた。(柳父章著「翻訳語成立事情」より)そもそも、その仏教用語ですら元は外来語である。(この辺りは江戸時代から篤胤や宣長が漢意(からごころ)と呼んで批判的に対比して「大和心」の輪郭を作る努力をこころみた。)

自ずと然り(おのずとしかり)と書いて「自然」であるが、「然」の成り立ちなどは犬小屋暮らしをしている者にとっては聞き捨てならない。この「然」の文字は犬の肉を下から炙っている形を表す。生贄の犬を焼いて煙を上げ神託を求め、その応えが「然り」というストーリーなのだそうだ。「然り」すなわち「その通り」というのは、「ソース(根拠)は神様の言う通り」という様なことなのらしい。つまり絶対的な力を持った第三者によって保証されなければならないというのだ。ましてやその代償として犬を焼くなどまったくもってけしからん話である。

ストーリー的にはこれとよく似ているけれど、受ける印象が違う語源として英単語のプレゼント【present】がある。

【present】の由来は読んだまんまで【pre】+【sent】なのであって、つまり「予め+送られた」である。【present】には日本語でいう「プレゼント」の意味に加えて「いま、現在」という意味がある。つまり、「今この時は前もって贈られた」ということになる。これは面白い。禅である。吉川英治の「宮本武蔵」をベースにして井上雄彦が漫画化した「バガボンド」の中で、井上が禅僧沢庵に「人生は天によって完璧に決まっていて、完全に自由だ。」と語らせていたのが思い浮かぶ。(バガボンド(29)

present

一見矛盾する言葉である気もするが、たとえば、器の要はその虚であることに例えてみれば、器は空であるときその存在の可能性を最大化している様なもので、剣の形で両手が塞がっていては手を使うことが出来ないという様なこともこのマンガの中にはよく出てくるので、おそらくその様な意味なのではないかと自分では解釈している。

関係ないが、大乗の「他力本願」という語は、通常「然」で書いた様な意味で捉えられがちだが、本来はどちらかといえば「present」で書いた様な意味に近いとも思う。

で、「ナチュラルライフ」なのだが、最初と最後を少々強引に結んで、ナチュラルライフ=プレゼントという様な意味合いで自分はこのカテゴリに参加させていただきたいと思っている。「自然と親しむ」とか「自然とふれあう」とかいう他者としての自然でなく、自分の中にも本来元々ある"自然"を感じたい。

上記で引用した「翻訳語成立事情」という本の中には、「自然」の他にもたとえば「自由」とか「社会」、「個人」、「権利」、「存在」、「恋愛」、「美」… などはみな、明治以降の英語からの翻訳語であることが示されている。出来ればこの様な語も本来の形を見極めながらブログを書ければ良いなと思っている。

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