エコカーは本当にエコなのだろうか

エコカーというのは多分エコロジーとかエコノミーとかの意味を含んでそう呼ばれているのだと思うが、本質的には果たして本当にそうなのだろうか?という様なことを、実はエコカーという言葉ができる以前から思っていた。

自分が学校を卒業して最初に勤めたのはある自動車メーカーの設計部門だったのだけれど、当時は馬力競争の真っ只中という時代であったのでその構図は尚更分かりやすかった。つまり、開発の方向性こそ変わってはいるが、それ以上の部分で一体何が変わったというのだろうか?という様な意味なのだが、この会社を2年で辞める前に同僚と議論した際にはこの方向転換も仮定しつつ話題にしたことなどを憶えている。

その後、自動車の外装修理に携わっていたことがあって、その会社の社員旅行で自分にとっては初の海外となるハワイに行った。幸いなことに現地ではほぼ自由行動というスケジュールだったので、観光客で賑わうビーチや土産物屋から離れてあてもなくブラブラとしていたのだけど、初めて触れる異国の文化はなかなかに印象的なものだった。

職歴からもお察しの通り自動車には興味があったので自ずと目が行くのだが、映画の中に出てくるのと同じ様にそれらはまず生活の道具という意味合いが強く感じられる。日本でもそれはそのはずなのだけれど、例えば休日ごとにハンマーやまな板や洗濯機などをピカピカに磨き上げる人は稀だと思うのだが、自動車は何故か少し事情が違う。そこへ行くと、こちらでは車はハンマーや洗濯機と同等の扱いを受けているのが見受けられる。当時の職業柄もあるが、これはかなりのカルチャー・ショックだった。

錆びて穴が空いたリヤハッチはダクトテープで塞いである。ぶつけて交換したフェンダーは色違い。そんな車たちが当たり前に街を走っている。それほどではない車たちも、ここ数ヶ月以内に洗車をした車を見つけるのはなかなか難しい。ワイキキ周辺まで戻ってきて、サングラスをかけた美人がブロンドをなびかせて走らせるピカピカの真赤なjeepや無駄に長くてやたらと多いピカピカのリムジンを見て、やっとで現実に戻る。

いや、実際にはそれほどではなかったのかもしれないが、印象として残っているのはそういう日用の道具という車本来の役割として使われているシーンばかりで、それが強烈にカッコよかった。

日用品としての車

ということで、タイトルも含めた壮大な前振りはこの辺りにして本題に入ると、最近、自分の車の運転席の足元に穴が空いた。

ドアを開けたところ

運転席のドアを開けたところ。アルミテープは前の車検の時に車屋さんが気休めに予防的に貼っておいてくれた。

別角度

車室内側から外が見える

6〜7年前にヤフオクで10年落ちの走行10万キロちょっとを10万円ちょっとで買った軽ワンボックスは、元々の仕様もほぼ最低グレードでパワステもパワーウインドウも付いていないが、その分車両重量は同型のフル装備のものと比べると150kgほども軽く、5速マニュアル、パートタイム4WDとも併せて、当時のカタログスペックかそれ以上にすこぶる燃費も良い。1999年製の車なので今年は17年目となるが、仕事にも山小屋暮らしにも4匹の犬たちとのお出掛けにも現役で絶賛大活躍中である。

17年目の軽ワンボックス

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