Bライフとブルジョワの共通性あるいはその親和性

最近の記事で古いアルバムを引っ張り出してきたら当時のことをいろいろと思い出す様になったのだけれど、これとほぼ同じ頃にした旅行で現在の自分の価値観を形成するのに重要な旅があって、この際なのでそちらの方にも触れておきたいと思う。

生まれてこの方現在に至るまで、自分の社会的な、あるいは経済的な階層というのは平均値よりもだいぶ下の方にあるのだけれど、この世の中は何が起きるか分からないもので、ちょうど前記事でアメリカに行ったのと同じ年にフランス人アーティストの友人が出来た。友人というのはおこがましいので知人としておく。その頃の仕事の絡みでたまたまスタッフとして接したのがきっかけだったのだけれど、初めて接した彼の作品に相方共々惚れ込んでしまい、勢い余って「二人で遊びに行っても良いか?」と尋ねると二つ返事で「じゃ、ウチに泊まれば?」と言われたのがその始まりだった。

彼は、年齢的には自分の親の世代であるが、そんな悲しいことを言うなといって常に気さくに接してくれる。いわゆる富裕な家庭に生まれた人で、ご先祖様がルイ16世のかのお妃に自社の商品を献上する姿を描いた絵画などをネット上でも確認出来るので、本来の意味での”ブルジョワジー”の系譜である。

彼との関係は現在も続いているのだけれど、とくに最初の頃はお互いの家に招待する様な機会が何度かあって、当然ながらその度ごとに強烈なインパクトを受けた。そんな中でも極めつけだったのが彼のファミリーが所有する別荘に招待してくれたときである。事前の手紙のやり取りで、当日は各自シーツ2枚を持参することというお達し以外には何も知らされていなかったが、その当日、日本から用意して来た計4枚のシーツをバッグに詰めて彼の自宅に着くと、彼の友人のところを泊まり歩きながら別荘まで旅をするというオプションが設定してあった。

彼の奥様は彼と同業のアーティストであるがとても美しく理知的なマダムで、久しぶりにお会いすると思わず跪いて手を取って接吻したくなる様な、威厳に満ちた穏やかな優雅さと品の良さとでもいうものが自然に身に付いている様な人なのだけれど、彼本人はというと生粋のアーティストとでもいうのか、その持てる能力はほとんどが作品と対峙することに特化されている様な人で、翻ってそれは日常生活の中の些細なスキルには必ずしも適正とは言えない部分も含んでいて、下車する予定の駅に着くまでには電車の中を3人で全力ダッシュしなければならないことが2度ほどあったりもしたが、そんなことがまたこの旅の記憶に彩りを添えている。

そんなことをしながら辿り着いた1軒目の彼の友人のお宅は風光明媚なロワール川のほとりにある古い建物で、なんでもルイ11世の所有物として建てられたというのだからそりゃ古い。アメリカ大陸もまだ”発見”されていない。この建物の通りに面した壁には「ここにはかつてジャンヌ・ダルクが立ち寄った云々」というプレートなども取り付けられていて、もうほとんどお伽話の世界に迷い込んだ感すらあった。

2軒目に立ち寄った友人のお宅などはいわゆるお城なのであるが1軒目のお宅よりも更に歴史を遡る様で、かつて門番小屋であったであろう建物を改装した”ニワトリ小屋”を修理する際に発見した壁の石に刻まれた文字はフランス語でもラテン語でもない”何か”であったのだそうだ。そんなことをこのアジアの凡人風情に熱く語るあたりはこの城主もこの旅行者と同種のアーティスティックな性格の持ち主の様であったが、名前と名字の間に”de”のつく紛れもない”城主”である。そして自分はこのとき、この”城主”を不敵にも「ねぇ、パトリック」などとファーストネームで軽々しく呼ぶ特権を与えられるという貴重な体験をさせてもらった。

知人お友人のお城

パトリックのお城

本題にたどり着く前になんだか無駄に長くなりそうなので、本日はとりあえずこの辺で。

Bライフとブルジョワ… その2
前記事からの続き。 最寄りのTGV(高速鉄道)の駅まで迎えにきてくれたこの”城主”が乗っていたのは現在自分が乗っている車を彷彿...

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