Bライフとブルジョワ… その2

Bライフとブルジョワの共通性あるいはその親和性
最近の記事で古いアルバムを引っ張り出してきたら当時のことをいろいろと思い出す様になったのだけれど、これとほぼ同じ頃にした旅行で現在の自分の価...

前記事からの続き。

最寄りのTGV(高速鉄道)の駅まで迎えにきてくれたこの”城主”が乗っていたのは現在自分が乗っている車を彷彿とさせるおんぼろのトヨタで、フランスの高速道路の制限速度が130km/hであることを恨めしく思うほど快調に飛ばしていたことを思い出す。パトリックのいでたちもまたそのおんぼろのコルサだかターセルだかに全く違和感のないものであったのだけれど、眼鏡の奥のすべてを了解したと言わんばかりのもの静かで落ち着いた静かな笑顔が印象的な人である。

パトリックの運転

パトリックはどこかの大学で何かを教えていたりもしていた様な人らしかったが、その頃にはもうリタイアしていて内外のアーティストのサポートなどをしながらこのお城をギャラリーやサロン、また、それに付随する宿泊施設として一般にも開放していた。この時にもベルギーから15人ほどの団体のゲストを受け入れていたが、なんと驚くことにその食事さえもパトリックのお手製であった。

このお城には彼の右腕とも呼ぶべき賢そうな背の高い男性がいて、広大な庭の花壇のバラの手入れから馬の世話からニワトリ小屋の改装からゲストのもてなしからギャラリーの作品の展示から何から何までをこの二人でこなしているのらしかった。滞在中相方がシャワーを浴びる際、タブにお湯を溜めようとしたら階下に漏水するというちょっとした事件があったのだけれど、その際にもその男性が駆けつけて手際よく修理していた。

そうかと思えば、相方と庭に隣接する林の中を散歩しているとどこからとも無くパトリックが現れて、時間を持て余す人の様にいっしょにアヒルにエサをやって戯れてみたり、思いつきでその右腕の男性に自分たちを次の最終目的地まで車で送らせたついでに、その彼にもしばらく一緒にゆっくりして来たらどうかと言って実際自分たちがいる間はその彼もずっと一緒にいたのだけれど、パトリックには時間さえも自由に操る魔法使いの様な不思議な印象を受けた。

パトリック

それほど多くの言葉を交わしたわけではないが、この人の印象がその後の自分の価値観に与えた影響は少なくない。

たとえば、ゴールデンウィークの予定を訊かれて「何も無い」というのと「何もしない」というのとではその意味するところはまったく違うわけである。最近では脳の機能で能動的にインプットやアウトプットなど見かけ上「何もしない」状態であるときの「デフォルトモードネットワーク」などという言葉も使われるようになったのであるが・・・などということを頭の中でごちゃごちゃと弄っているとパトリックが現れて「ウィ!ウィ!エクザクトモン!まったくその通り!で、その、ゴールデンウィークて何?」みたいなところで華麗に足下を掬われるのである。

脱線したついでに。自分の体験したフランスはアーティストの数が非常に多い。人口比的な意味で。これは自分のフランス体験がこの知人を介しているという理由が大きいのだけれど、客観的なデータを見てもどうもこれは事実なのらしい。フランスで芸術はある程度の社会的、また経済的な地位を確立しているというふうにもとれるが、これは生業…食べるための仕事よりもライフスタイルを優先させるという概念の優先度の違いであるともとれる。

この後の日程の中では知人と右腕氏が街でばったり出会った老人と長い立ち話をしていたことがあって、老人と別れてから「誰?知り合い?」と尋ねたら「いや。知らない人。フィロゾフなんだって。」などと言いながら二人は会話の余韻に浸ってしばらく沈黙していたのだけれど、自分は「哲学者」という肩書きがあるフランス社会に沈黙した。もう少し脱線すると、出会って間もない頃にこの知人が会話の中で風景を眺めながら何気なく発した英語の「worker」という呼称にも一瞬思考停止した記憶がある。「ゴールデンウィークて何?」である。

で、この理想と現実のギャップを陰でこっそりとさりげなく埋めるパトリックの様な人や彼らのための”アジール”ともいうべき彼のお城の様な存在というのが、実はこのフランスの社会の基盤を強力に支えているのではないかなどとも思った。

ということで、話はまとまらないまま、またしても次回に持ち越される模様。
ある程度筋書きを考えてから書けば良かったと若干反省中。

Bライフとブルジョワ… その3
前記事からの続き。 というわけで、右腕氏の運転で最終目的地の知人ファミリーの別荘に向かった。アバウトな時間感覚の各氏が...

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